熱狂のサーキットと過激衣装!昭和レースクイーン黄金期の真実
レースクイーン 昭和の時代、アスファルトから立ち上る猛烈な陽炎の向こうには、現代の洗練されたパドックからは想像もつかないほどの野性と混沌、そして規格外のエネルギーが渦巻いていた。爆音を轟かせるモンスターマシン、ピットウォークで怒号とともに押し寄せるファンの群れ、レンズを構える無数のカメラ小僧たち。過激さを増していくコスチュームを身にまとい、満面の笑みでパラソルを掲げた彼女たちは、単なるレースの引き立て役などではなかった。高度経済成長からバブル景気へと突き進む日本社会の欲望と勢いをそのまま映し出した、まぎれもない時代のアイコンだったのだ。
今振り返っても、レースクイーン 昭和というカルチャーが放った強烈な光彩は色あせない。当時の現場で一体何が起きていたのか。なぜあれほどまでに人々は熱狂し、ひとつの巨大な社会現象へと膨らみ上がったのか。関係者の証言や当時の記録を丹念に掘り起こすと、華やかな表舞台とは裏腹の過酷な舞台裏と、サーキットを足がかりに自らの運命を切り拓いていった女性たちの生々しいドラマが見えてくる。
サーキットの原点:小川ローザから始まった「美とスピード」の蜜月

時計の針を大きく巻き戻そう。日本のモータースポーツ黎明期、サーキットに女性モデルが立つ光景は極めて珍しいものだった。その潮目を一気に変えた象徴的存在が小川ローザだ。風にミニスカートがめくれ上がる石油会社のCMで一世を風靡した彼女の登場は、自動車と女性モデルという強固な結びつきを決定づけた。
やがて日本自動車連盟 (JAF) の公認レースが全国で本格化し、富士スピードウェイや鈴鹿サーキットに大観衆が詰めかけるようになる。ビールメーカーや水着メーカー主導だったキャンペーンガール文化が、莫大な資金が動く自動車レースの現場へと流れ込むのに時間はかからなかった。スピードを競う無骨な男たちの戦場に、鮮やかな原色を添えるパラソルガールたち。彼女たちは瞬く間に、週末のサーキットになくてはならない主役のひとりへと押し上げられていった。
富士GCと鈴鹿8耐が生んだ狂乱!過激衣装とバブル前夜の現場検証

昭和50年代から60年代にかけて、サーキットのボルテージは頂点に達した。その震源地となったのが、富士スピードウェイで開催されていた富士グランチャンピオンレース(通称・富士GC)と、真夏の祭典として定着した鈴鹿8時間耐久ロードレースだ。
富士GCのパドックはまさに戦場だった。サーキット周辺には暴走族の改造車が列をなし、ピット裏には水着姿やレオタード姿のクイーンたちを一目見ようとファンが殺到した。押し寄せる人の波でバリケードが決壊しかけることもしばしば。当時の関係者は「ピットからトイレに行くだけでガードマンが数人必要だった」と苦笑交じりに振り返る。
衣装の過激化も凄まじいスピードで進んだ。単なるワンピース水着から始まったコスチュームは、バブル景気の前夜、ハイレグの切れ込みが腰骨を遥かに超える極限のデザインへと進化する。鈴鹿8時間耐久ロードレースの焦げるような猛暑のなか、アスファルトの照り返しに耐えながらヒールで立ち続けるクイーンたち。冷却スプレーを浴び、バックヤードで氷嚢を抱えながらも、カメラの前に出た瞬間にプロの完璧な笑顔を作る。そこには過酷な現場を生き抜く、プロフェッショナルとしての壮絶なプライドが存在していた。
岡本夏生と飯島直子——グリッドから芸能界の頂点へと駆け抜けたカリスマたち

昭和末期から平成初頭にかけて、レースクイーンは芸能界への強力な登竜門としての機能を急速に強めていく。その最高峰に君臨したのが岡本夏生であり、のちにトップ女優へと登り詰める飯島直子だった。
ハイレグの女王としてサーキットを席巻した岡本夏生は、圧倒的なプロポーションと物怖じしないマシンガントークで、レースクイーンのパブリックイメージを「ただ立っている美女」から「強烈な個性を持つエンターテイナー」へと塗り替えた。その存在感は全日本F3000選手権のグリッドでも群を抜いていた。
一方、名門チームのキャンペーンガールを務めた飯島直子は、圧倒的な親しみやすさと洗練された美貌で男性ファンのみならず同世代の女性たちをも魅了した。後にバラエティ番組やドラマで大ブレイクを果たす彼女たちの原点は、間違いなくガソリンの匂いと熱気が立ち込める昭和のパドックにあった。グリッドという過酷な現場で鍛え上げられた度胸とファン対応の巧みさが、その後の芸能界での大躍進を支えたことは疑いようがない。
モータースポーツ産業を押し上げたスポンサー狂想曲とファンの熱量
なぜ昭和のレースクイーンはあれほどまでに絢爛豪華だったのか。その背景には、急激な拡大を遂げていたモータースポーツ産業と、そこに群がった巨額のスポンサーマネーがある。
タバコメーカー、アパレルブランド、石油元売り、音響機器メーカー。各企業は自社のロゴをまとったレースクイーンを広告塔として競い合わせた。彼女たちのコスチュームは企業のブランディングそのものであり、最新のデザインと多額の予算が惜しみなく注ぎ込まれた。
ファン側の熱量も異常なほど純粋で、かつ過熱していた。今のようにSNSで手軽に写真を発信・共有できる時代ではない。ファンは重い一眼レフカメラと大量のフィルムを抱えて早朝からゲートに並び、現像した写真をアルバムにまとめてパドックで本人に手渡した。ファンとクイーンの間には、閉鎖的でありながらもどこか温かい、昭和特有の濃密な人間味に満ちたコミュニティが成立していたのである。
YouTubeとスカパー!で再燃する昭和レトロカルチャーの真髄
あれから数十年の年月が流れた。現代においてコンプライアンスやジェンダー観の変化に伴い、サーキットの風景は大きく様変わりした。だが興味深いことに、昭和のレースクイーンたちが放っていた圧倒的な熱気は、今再び若い世代の間で再評価されている。
火付け役となっているのが、YouTubeにアップロードされた当時のレース中継やファンのホームビデオ、そしてスカパー!モータースポーツなどの専門チャンネルで放送される旧車レースのアーカイブ映像だ。デジタルネイティブの世代にとって、CGも加工アプリも存在しなかった時代に生身の身体ひとつで観客を圧倒していた彼女たちの姿は、媚びない強さと眩しいエネルギーに満ちた昭和レトロカルチャーの最高傑作として映っている。
規制が緩く、誰もが前だけを向いてアクセルを踏み込んでいた時代。サーキットの熱気とともに咲き誇った昭和のレースクイーンたちは、日本が最も熱く滾っていた瞬間を象徴する、永遠の伝説としてこれからも語り継がれていくに違いない。 (出典: レースクイーン 昭和(Yahoo!ニュース))