日本人の下着を変えた「ズロース」の正体と白木屋大火の真相!
ズロース とは、英語の「drawers(下ばき)」が訛ったもので、明治期から昭和中期にかけて日本の女性たちが着用した股丈の長い下着を指す。現代のショーツやパンティの直接の先祖にあたる存在だが、その形状や機能は似て非なるものだった。腰回りにゆとりを持たせ、膝上から太もも付近までをすっぽり覆う木綿やネルの布地。和装から洋装への過渡期、ノーパンが当たり前だった日本社会に突如現れたこの衣類は、女性の衛生観念や生活様式に前代未聞の地殻変動をもたらした。
昭和初期の世相を振り返る際、歴史ファンや服飾研究者の間でズロース とは一体どのような役割を果たしたのかという議論が今なお熱を帯びている。着物の裾乱れを隠すための実用着から、やがて女性の身体の自由を象徴するアイテムへと昇華していった軌跡は、単なる衣服の変遷にとどまらない。そこには、災害、社会運動、そして戦後の経済成長が複雑に絡み合う生々しい人間ドラマが存在していた。
白木屋大火の都市伝説:ズロース普及の契機とされた「墜落死の謎」

日本人の下着史を語る上で、避けて通れない有名なエピソードがある。1932年(昭和7年)12月に発生した日本橋の百貨店「白木屋」の火災事故だ。煙が立ち込める中、高層階からロープで脱出しようとした和装の女性店員たちが、強風でめくれる裾を押さえて恥じらい、片手をロープから離したことで墜落死したという話である。この悲劇を機に「ズロースを履くべし」という声が高まり、日本女性の下着着用が一気に普及したという言説は、長く定説のように語り継がれてきた。
だが、近年の研究によってこのドラマチックな逸話の多くが後世に作られた都市伝説であることが判明している。警察の公式調書や当時の新聞報道を丹念に突き合わせても、裾を押さえて墜落死した女性の存在は確認できない。当時の白木屋ではすでに洋服制服の導入が進んでおり、犠牲者の死因の大半は煙による一酸化炭素中毒や避難具の不備だった。
それにもかかわらず、なぜこの伝説がこれほどまでに信じ込まれたのか。背景には、女性たちに洋装下着の着用を促したかった当時の衛生運動団体や百貨店側の商業的思惑があった。ショッキングな物語を通じて「恥じらいよりも安全と衛生」という新しい価値観を定着させるためのプロパガンダとして、白木屋大火の悲劇は格好の舞台装置として利用されたのだ。
パンティと何が違う?明治・大正・昭和を彩った下着の変遷

ズロースと現代のパンティの違いは、単なる呼び名やカッティングの差にとどまらない。その根本的な差異は「股の構造」と「着用の目的」にあった。初期のズロースは、股ぐりが縫い合わされていない「股割れズロース」が主流だった。和装の女性たちが裾をまくらずとも用を足せるよう設計されたこの下着は、保温や肌の保護を主目的にしており、現代のようにデリケートゾーンに密着させる構造にはなっていなかった。
昭和に入ると、より衛生的な「股閉じズロース」が登場する。しかし、伸縮性のない平織り木綿で作られていたため、布地がもたつかないよう太ももにゆったりとしたギャザーを寄せた提灯のようなシルエットが一般的だった。これが「カボチャパンツ」とも呼ばれる所以である。
戦後、ナイロンやポリウレタンといった化学繊維が登場し、伸縮性とフィット感が飛躍的に向上したことで、下着は「体を覆う袋」から「体型に沿うセカンドスキン」へと変貌を遂げた。ズロースは次第に丈を縮め、股上が浅くなり、やがてカラフルなパンティへと主役の座を明け渡していくことになる。
朝ドラ『虎に翼』が掘り起こした女性たちの身体観と日常着のリアル

女性たちの服装が変化していく激動の時代をリアルに描き出して話題を呼んだのが、連続テレビ小説『虎に翼』だ。日本初の女性弁護士たちが法曹界で奮闘する姿を描く傍らで、劇中に登場する女性たちの装いは当時のリアルな風俗を如実に物語っていた。NHKオンデマンドのアーカイブ配信などで見返すと、和装から機能的な洋装への移行期における女性たちの苦闘が細部まで再現されていることがよくわかる。
着物は帯で腹部を強く締め付け、足さばきを制限する。法廷を走り回り、社会で自立しようとする女性たちにとって、従来の和装や下着なしの生活はあまりに不便だった。劇中で描かれた活動的な女性たちの姿は、身体を締め付けから解放し、機能的な下着を求める時代の切実な空気を鮮烈に伝えている。
ズロースの普及は、女性たちが自らの足で歩き、社会へ進出するための物理的なインフラ整備でもあった。足元を気にせず大股で歩けるという当たり前の自由が、当時の女性たちにとっては革命的な出来事だったのだ。
塚本幸一と鴨居羊子:下着解放運動から株式会社ワコールホールディングス誕生へ
戦後日本の下着市場を塗り替えた二人の巨人がいる。株式会社ワコールホールディングスの創業者である塚本幸一と、デザイナーの鴨居羊子だ。両者のアプローチは対照的でありながら、日本の女性を古色蒼然としたズロースの束縛から解き放つという点で完全に一致していた。
復員兵だった塚本幸一は、京都でブラパットの行商から事業をスタートさせた。「女性を美しくしたい」という強い信念のもと、西洋の立体裁断技術を研究し、日本女性の体型に合わせたインナーウェアを次々と開発。後の巨大アパレル・インナーウェア産業の礎を築いた。ワコールが生み出した高品質で機能的な下着は、ズロースを過去の遺物へと押し流す原動力となった。
一方、大阪でチュニック社を立ち上げた鴨居羊子は、よりアナーキーで表現力豊かなアプローチを取った。「下着は白か肌色」という当時の常識をあざ笑うかのように、原色のスキャンティやセクシーなランジェリーを世に放ち、女性たちに「下着を選ぶ快楽」を教え込んだ。鴨居にとって下着とは、隠すべき衛生用品ではなく、己の身体を肯定するための自己表現だった。この二つの潮流が合流することで、日本のランジェリー文化は一気に成熟期を迎えた。
国立国会図書館デジタルコレクションで読み解く服飾文化史の真実
かつての下着事情を知るための貴重な資料が、国立国会図書館デジタルコレクションに膨大に眠っている。明治から大正にかけての婦人雑誌『婦人公論』や『婦人之友』のバックナンバーを紐解くと、当時の知識人や医師たちが繰り広げた「下着論争」の生々しい言説が立ち現れてくる。
興味深いのは、ズロースの導入が単なるファッションではなく、国民の健康や国家の近代化と直結する問題として論じられていた点だ。当時の服飾文化史の記述によれば、軍隊や学校現場での洋装化が進む一方で、家庭内にとどまる一般女性の衛生改革は遅れていた。雑誌の広告欄には「最新式衛生下着」としてズロースの効能が誇らしげに並び、婦人運動家たちは「月経時の衛生管理のためにもズロースの着用が不可欠」と熱心に啓発していた。
資料を精読すればするほど、ズロースの歴史は「女性の身体をめぐる自己決定権の歴史」であったことが浮き彫りになる。何を着て、どう動くか。その選択肢を勝ち取るための戦いが、古びた雑誌の活字の間に刻まれている。
下着の多様化が進む今だからこそ振り返りたいズロースが残した遺産
フェムテックの台頭やジェンダーレスインナーの普及など、下着をめぐる選択肢はかつてない広がりを見せている。吸水ショーツの普及や、締め付けのないボクサータイプのインナーを好む女性の増加は、快適さと実用性を求めたかつてのズロース回帰とも言える現象だ。
ズロースは単に過去の古くさい下着ではない。それは、旧態依然とした身体の束縛に風穴を開け、現代の自由なランジェリー文化へとバトンを繋いだ偉大なるミッシングリンクだ。白木屋の火災から始まった神話、戦後の産業革命、そして女性たちの自立。そのすべてを包み込んでいた一枚の木綿布の歴史を知ることは、私たちが今享受している「当たり前の快適さ」の価値を再発見することに他ならない。 (出典: ズロース とは(Yahoo!ニュース))