暴動の記憶から福祉と観光の街へ:消えゆく東京・山谷の現在地
山谷 ドヤ 街――この言葉が喚起するかつての喧騒、路肩に溢れかえっていた日雇い労働者たちの熱気と怒号は、いまの東京にはどこにも見当たらない。台東区清川や日本堤、荒川区南千住にまたがる山谷(東京都)の一角を歩くと、耳に入ってくるのは耳をつんざく怒声ではなく、電動車いすの静かなモーター音と、コンビニエンスストアから流れる軽快なBGMばかりだ。かつて大阪の釜ヶ崎、横浜の寿町と並び「日本三大ドヤ街」と称された街は、静かに、だが不可逆的にその姿を変えている。
かつては地図から消されたスラムと恐れられた一方で、高度経済成長期のインフラ建設を底辺から支えた山谷 ドヤ 街の路地には、いまや欧米からのバックパッカーや地方から移り住んだ高齢者が自然に溶け込んでいる。街の輪郭を塗り替えたのは、大規模な区画整理や強制排除ではない。急速な高齢化と福祉需要、そしてインバウンドという時代の波だった。
簡易宿泊所のホテル化と高齢化:変貌する山谷の現在地

「ドヤ」とは宿(ヤド)の逆さ言葉で、文字通り粗末な寝床を意味した。しかし、法律上の区分である「簡易宿所営業」の看板を掲げる建物の内部は、2000年代以降のインバウンドブームと社会情勢の変化を経て二極化を遂げている。一泊数千円で清潔な個室を提供するバックパッカー向けホステルへの転換か、あるいは生活保護を受給する単身高齢者を専門に受け入れる居住型介護施設への改装だ。
毎朝路上で職を求める男たちが群がった「立ちんぼ」の光景は完全に姿を消した。代わって路地を行き交うのは、デイサービスの送迎車と訪問看護師たちである。多くの簡易宿泊所が行政の社会福祉事業と密接に連携し、身寄りのない元労働者たちの「終の棲家」として機能している。かつて労働力を供給した男たちがそのまま街で年を重ね、手厚い福祉ケアを受けながら余生を過ごす。山谷はいまや、超高齢社会・日本の最前線を行く福祉の実験場へと変貌を遂げた。
『あしたのジョー』の泪橋から見る虚像と実像の昭和史

山谷の名を全国に知らしめたのは、昭和の漫画史に燦然と輝く名作『あしたのジョー』に他ならない。原作者の梶原一騎と漫画家のちばてつやが描いた「丹下拳闘クラブ」は、泪橋のたもとの粗末な掘っ立て小屋にあった。少年院帰りの矢吹丈が拳一つで這い上がる物語は、日雇い労働で糊口をしのぐ山谷の男たちの鬱屈と野望をそのまま投影していた。
しかし、現在の泪橋交差点に橋の姿はない。かつて思川(おもいがわ)に架かっていた橋はとうの昔に暗渠化され、漫画の記念碑だけが静かに佇む。観光気分で訪れた若者がスマートフォンのカメラを向ける傍らを、買い物袋を提げた地元の高齢者が何食わぬ顔で通り過ぎていく。昭和の熱狂が生み出したフィクションの残像と、穏やかで生活感に満ちた現代の日常。その落差にこそ、この街が歩んできた時間の重みが滲む。
映画『山谷─やられたらやりかえせ』が記録した闘争の傷跡

山谷は単なる貧困の街ではなかった。手配師や暴力団による搾取、警察権力への激しい反発から幾度も暴動が勃発した、階級闘争の最前線でもあった。その血生臭いリアリズムを生々しく焼き付けたのが、1985年の伝説的社会派ドキュメンタリー映画『山谷─やられたらやりかえせ』だ。
撮影を手がけた監督たちが暴力団関係者に相次いで凶刃に倒れるという凄惨な事件を伴いながら完成したこの作品は、日本映画史における最も苛烈なノンフィクションの一つとして語り継がれている。映画の中に記録された怒号や街頭集会の熱気は、現在の整然とした街並みからは想像もつかない。だが、街の歴史を深く知る古参の住人にとって、あの闘争の記憶は決して消え去ることのない傷痕として今も胸に刻まれている。
東京都城北労働・福祉センターと山谷労働者福祉会館の今
街の結節点として機能してきた支援拠点もまた、その役割を根本から見直しつつある。かつて毎朝数千人の労働者が求人を求めてひしめき合った「東京都城北労働・福祉センター」は、現在では職業斡旋よりも生活相談や高齢者向けの健康相談、各種福祉サービスの窓口が主要業務となった。
一方、労働運動の拠点として活動を続けてきた「山谷労働者福祉会館」は、路上生活者への炊き出しや越冬支援を支えつつ、地域コミュニティの孤立を防ぐ草の根の活動を継続している。公的な福祉網からこぼれ落ちる人々をいかに救い上げるか。かつての労働争議の拠点は、セーフティネットの最後の砦として、現代の貧困問題と対峙し続けている。
YouTubeやNetflixの配信が引き寄せる若者と観光客の視線
近年、山谷に対する外からの視線は大きく変化した。YouTubeのディープスポット探索動画や、昭和のアングラカルチャーを取り上げたNetflixの配信コンテンツなどの影響で、山谷を「レトロでエキゾチックな街」として消費する若年層や外国人観光客が増加している。
格安の酒場でグラスを傾けるインフルエンサーや、昭和風情の残る大衆食堂に並ぶ若者の姿は、もはや日常の一部だ。かつての忌避感が薄れたことは街の治安向上とオープン化を物語る一方で、貧困や差別の歴史が単なる「コンテンツ」として脱色され、消費されることへの懸念を口にする支援者も少なくない。過度な好奇の目と共存しながら、街は新たなアイデンティティを模索している。
「福祉の特区」として生き残る街:再開発の波とこれからの東京
都心部へのアクセスに優れた南千住駅周辺では、高層マンションの建設や商業施設の整備が着々と進む。山谷を取り囲む再開発の波は、確実にこのエリアの境界線を曖昧にしつつある。古い木造長屋が解体され、真新しい戸建て住宅やファミリー向けマンションへと姿を変える光景は、すでに珍しくない。
それでも山谷が完全に消滅しないのは、ここが東京という巨大都市において、居場所を失った人々を受け入れるセーフティネットとしての機能を担い続けているからだ。日雇い労働の街から、福祉と安寧の街へ。名前を変え、住人を変えながらも、社会の周縁で生きる人々に寄り添い続ける山谷の姿は、都市がどのように弱者を包摂すべきかという重い問いを、私たちに投げかけている。 (出典: 山谷 ドヤ 街(Yahoo!ニュース))