ザ・スパイダース伝説メンバーの現在と音楽界を揺るがした全真相
ザ スパイダース メンバーが日本のエンターテインメント界に投じた一石は、半世紀以上の歳月を経てもなお色褪せる気配がない。1960年代、日本列島を未曾有の熱狂で包み込んだグループ・サウンズ(GS)ブームの頂点に君臨した彼らは、単なるヒット曲の歌い手ではなかった。ロックの衝動を輸入し、テレビ時代のバラエティ感覚を先取りし、巨大な芸能ビジネスの礎まで築き上げたのだ。
欧米のポップカルチャーを貪欲に吸収したザ スパイダース メンバーの足跡を改めて辿ると、7人の異才が衝突し合って生まれた爆発的エネルギーの凄まじさに息をのむ。それぞれの道へと分かれた後も、日本のカルチャーシーンの最前線を牽引し続けた男たちの真実を解き明かしたい。
伝説のGS「ザ・スパイダース」メンバーの現在と知られざる秘話

ザ・スパイダースという稀代のコレクティブを構成したのは、あまりにも個性豊かな7人の男たちだ。リーダーの田邊昭知(ドラムス)、フロントで軽妙な掛け合いを演じた堺正章(ボーカル)と井上順(ボーカル・タンバリン)、音楽的ブレインを務めたかまやつひろし(ボーカル・リズムギター)、卓越した演奏力で屋台骨を支えた井上堯之(リードギター)、大野克夫(オルガン・スチールギター)、そして加藤充(ベース)。この顔ぶれがひとつのステージに立っていたこと自体、今振り返れば奇跡に近い。
時は流れ、ムッシュの愛称で親しまれたかまやつひろしが2017年に、名ギタリストの井上堯之が2018年に惜しまれつつ世を去った。だが、遺されたメンバーたちの生命力は今も衰えていない。堺正章と井上順は熟練のエンターテイナーとしてステージやメディアで圧倒的な存在感を放ち、大野克夫は作曲界の生ける伝説としてリスペクトを集め続ける。また、バンド最年長として寡黙にベースを弾き続けた「カッポ」こと加藤充も、音楽への情熱を静かに保ち続けている。
彼らの結成裏話には、当時の日本が生々しく宿る。1961年、ジャズ喫茶や米軍キャンプのステージで腕を磨いていた田邊昭知を中心に結成されたスパイダースは、海外の最新ビートを誰よりも早く体感していた。1966年には単身ヨーロッパツアーを敢行。ロンドンのクラブで本場のモッズたちを熱狂させ、現地でレコーディングを敢行するなど、ビートルズ来日以前からすでに世界基準のビートを鳴らしていたのだ。
昭和カルチャーの金字塔:堺正章と井上順が切り拓いたマルチタレントの道

スパイダースが後世に遺した最大の功績のひとつは、「ミュージシャンがテレビでお茶の間を笑わせる」というスタイルの確立だ。その先頭に立ったのが堺正章と井上順のツインボーカルである。
堺正章の天性のコミカルな身のこなし、軽妙洒脱なトーク、そして哀愁を帯びた歌声。一方の井上順は、持ち前の端正なルックスと人懐っこい笑顔、飾らないキャラクターで瞬く間にお茶の間のアイドルとなった。二人がステージ上で繰り広げたコントさながらの掛け合いは、当時の厳格な歌謡界において革命的だった。
バンド解散後、二人は昭和歌謡の黄金期を牽引するソロシンガーとしてヒットを飛ばす傍ら、国民的番組の司会者や名優へと飛躍していく。堺の『カックラ最高キン!』や『西遊記』、井上の『夜のヒットスタジオ』での司会ぶりは、現代のアーティストがバラエティ番組で活躍するマルチタレント路線の完全な原型となった。
サウンドの心臓部:かまやつひろし・大野克夫・井上堯之が遺した音楽的革命
スパイダースの真の恐ろしさは、タレント性以上にその圧倒的な音楽IQにあった。その中心にいたのが、かまやつひろし、大野克夫、井上堯之の3人である。
かまやつひろしは、米国のガレージロックやリバプールサウンドの旨味を直感的に咀嚼し、日本独自のポップスへと昇華させた天才だった。浜口庫之助が手がけた楽曲『夕陽が泣いている』のミリオンセラーで国民的認知を得る一方、かまやつ自身がペンを執ったナンバー群は、エッジの効いたファズギターと斬新なコード進行に満ちていた。名門フィリップス・レコードからリリースされた一連の音源は、海外のガレージパンクコレクターの間でも今なお高額で取引されている。
そして解散後、井上堯之と大野克夫は「井上堯之バンド」を結成し、テレビドラマ史に燦然と輝く名曲群を生み出す。『太陽にほえろ!』や『傷だらけの天使』のテーマ曲、さらには沢田研二の一連の大ヒット作を手掛けたのは彼らだ。大野克夫のペンによる『名探偵コナン』のメインテーマに至るまで、スパイダースの遺伝子は世代を超えて日本人の耳に刷り込まれている。
黒幕にしてドン:田邊昭知と加藤充が支えた鉄壁のバンド体制
どれほど才能豊かなプレイヤーが揃っていても、強烈な統率力とリズムセクションがなければバンドは瓦解する。その重責を一手に引き受けたのがリーダーの田邊昭知とベーシストの加藤充だった。
田邊はステージ上でドラムを叩きながらバンドの全権を握り、メンバーのギャラ管理からプロデュース、対外的な交渉までを冷徹なビジネス感覚で取り仕切った。解散後に彼が設立した田辺エージェンシーは、タモリをはじめとする超大物タレントを輩出し、日本の音楽産業および芸能界のキャスティング構造を根本から作り変える巨大勢力となっていく。
その田邊のドラムとタイトに絡み合い、バンドの屋台骨として正確無比な低音を刻み続けた加藤充の存在も忘れてはならない。派手なパフォーマンスの裏で、加藤の堅実なベースワークがあったからこそ、フロント陣は自由に暴れ回ることができたのだ。
銀幕とサブスクを席巻:映画『ザ・スパイダースのゴーゴー向う見ず作戦』から令和の再評価へ
1960年代後半、スパイダースの人気は映画界をも巻き込んだ。日活で制作された映画『ザ・スパイダースのゴーゴー向う見ず作戦』をはじめとする主演映画シリーズは、ザ・ビートルズの『ハード・デイズ・ナイト』を彷彿とさせる疾走感と、日本特有の無国籍アクション、ナンセンスコメディが融合した傑作群だ。
かつて映画館で若者たちを狂乱させたそれらの映像は、現代ではAmazon Prime Videoなどの配信プラットフォームで手軽に鑑賞できるようになり、若い世代のクリエイターに新鮮な衝撃を与えている。ファッショナブルなモッズスーツ、洗練されたヴィジュアルセンス、そして劇中で炸裂する生々しいバンド演奏の熱量は、半世紀の時を軽々と飛び越えてくる。
同時に、世界的なシティポップ〜昭和歌謡の再評価の波に乗り、Spotifyなどの音楽ストリーミングサービスでも彼らのカタログがグローバルに再生されている。泥臭いエレキサウンドと洗練されたメロディの同居は、デジタルネイティブの耳に「最もクールなヴィンテージロック」として響いているのだ。
なぜ彼らは今も特別なのか?日本の音楽産業に刻まれた不滅の遺伝子
ザ・スパイダースとは、一体何だったのか。その問いに対する答えは、彼らが切り拓いた領域の広大さそのものにある。
彼らはロックバンドであり、ポップスターであり、コメディアンであり、映画俳優であり、ビジネスの革命家だった。GSブームが去った後、多くのグループが歴史の波に埋もれていく中で、スパイダースの7人はそれぞれが独立した巨星となり、日本のカルチャーを形作る中枢へと進出していった。
不良の音楽と蔑まれたロックを大衆の真ん中へ引きずり出し、テレビという新しい怪物を手懐け、独自のエンターテインメントへと昇華させたザ・スパイダース。7人の男たちが遺した足跡は、今この瞬間も、私たちが楽しむ音楽やテレビ、映画のあらゆる場所に息づいている。 (出典: ザ スパイダース メンバー(Yahoo!ニュース))